序章 景時追放
時は正治元年(一一九九)霜月十三日。
鎌倉御所に参内した梶原景時は、将軍・源頼家公の御前にひれ伏した。
『景時、これを見るがよい』
頼家公は、巻物をはらりと広げてみせた。そこには、鎌倉幕府御家人、
六十六人の名が連らねてある。景時追放の訴状であった。
『あやつも、こやつもか。共に先陣をかけ巡った同志ではないか。なにゆえに……』
景時は一瞬、目を見開き、うっ、と低く呻いた。こみ上げた言葉が喉元に詰まる。
前の将軍、源頼朝公の御為にと、唯一筋にお仕えして二十年。
『この我身を、反逆の者ぞと申すのか』
見上げると、頼家公の冷たい目差しが、そこにあった。
御所様は、是非を正そうとはなされない。連署状を、うのみにしておられる御様子。
『進退、ここに極まれりか』
景時は遂に、ひとことの言葉も吐かず、御前を下がった。そして、相模の国一之宮
の梶原館へ帰って行った


心に期して
頼朝公が身罷られて、まだ一年。
『これは、若き頼家公の後盾として、幕府の実権を握ろうと企む、北条の仕業に違い
ない』
頼朝公が築いた鎌倉幕府。その行末が案じられる。
『この先、我がとるべき道は、京都の所領へ参って、西国武士を集めることだ。
梶原景時の名をもってすれば、鎌倉を超える兵が集まるであろう。北条を討つべし』
館に戻ったその日、景時は心を決めた。

梶原館の出発
歳が明けて正治二年(一二〇〇)睦月十九日の夜更け。
梶原館の広大な庭に、旅支度の一族郎党が集まっていた。
『我が一族の者よ。これより京都へ参る。幾組かに別れての旅とはなるが、京都で
顔をそろえようぞ。楽しみにしておる。道中、心して行くがよい』
景時は、名馬磨墨の馬上で、釆配を高く掲げた。
そして、次男・景高の子、孫の豊丸君が、乳母のお隅と、数人の家臣に守られて行
く後ろ姿を、祈るように見送った。
その後二陣として、数ある梶原勢から選りすぐった六十騎は、東海道を西に向かった
のである。
吐く息も氷る真冬の闇夜、新たな門出とはいえ、人目を避けての旅立ちであった。

馬上の感慨石橋山
「石橋山は、あの辺りか」
ゆくてに黒々と連らなる山を見て、景時は小さく呟いた。
<あれは、二十年前のことであった>
若き日の頼朝公は、石橋山の合戦で旗上げをしたが、負け戦となった。
折から、とどろく雷と大雨を避けて、近くの洞窟へ供の者と身を隠す。
そこへ、平家の武将として攻めていた梶原景時が通りかかる。
中を覗いた景時は、一人の武者と目が合った。
『人を圧する気品は並みではない。覚悟はできておる自害の身構えにも隙がない』
景時は心を奪われた。
『このお方こそ、源氏の大将・源頼朝様に違いない。この場で討ち取って首を差し出
せば、莫大な恩賞を手にすることができる。しかし、待て石橋山で敗れたとはいえ、
源氏正当のお血筋。輝くばかりの御器量を発散しておられるではないか。もしや、命
を助けて甲斐のある殿であるかもしれない』
平家に非ざるは人に非ず、と、騎る平家に落日の兆しを、景時は早くも、読み取って
いたのだろうか。洞窟の武者と供の者は、ひそとも動かない。迷える心で、ふと目を
伏せた洞窟の壁に、蜘蛛の巣が張ってある。景時は、蜘蛛の巣を刀に引っ掛けて外
へ出た。
「この洞窟に人はおらぬ。これ、この通り、蜘蛛の巣だらけじや」
待ち構えていた平家方の武士に、景時はさりげなく蜘蛛の巣を見せたのだ。
洞窟の頼朝は、遠去かる足音に手を合わせて祈ったと聞く。
「我世にあらば、この恩は忘れじ。たとい亡びたりといえども、七代までも守らん」
この出会いが縁となり、養和元年(一一八一)睦月十一日、景時は頼朝公に迎えられ、
お側近く仕えることになった。石橋山から四月後のことである。
景時は武芸に優れ、和歌をよく嗜み、機智に富む武将である。
「梶原こそ、我が心の奥を語り合える臣下なり」
と、頼朝から寵愛を受けた。景時も又、盾となり柱ともなって、頼朝公を支えてきた。
このような仇を生むことになろうとは、思いもかけないことである。
「前の御所様さえ生きておられたならば……」
はしなくも溢れ出た涙を、景時は振り払った。

趣え撃つ駿河武士
気がっけば、磯の香りが、夜風に乗りて流れてくる。清見が関に近付いたらしい。
景時は、一之宮を出る時、同行の者達に誡めを与えておいた。
「この先、駿河の入江一族が、最も厄介なり。吉川小次郎をはじめ、飯田五郎、渋川
次郎、芦原小次郎、船越三郎など、多くの勇士が顔をそろえておる。中でも吉川小次
郎は、剣をとりても弓矢でも、人並みに秀でた豪の者なり。馬の蹄にも気使うて、静か
に通り抜けるべし。何事も忍の一字と心得て、唯々、上洛のことのみ考えよ」
行列は黙々と進んでいく。
<皆の者が京都に着いたら、早速、甲斐源氏の嫡男・武田有義様を将軍として迎えし、
この景時、命に代えてもお守りしようぞ>
景時は、反甥すると、寒さもやわらぎ、心も軽くなるのだった。ところが、清見が関の辺
りには、弓矢を持った地元武者たちが、道を塞いでいる。
『こんな寒い夜更けに何事ぞ』
景時は、そしらぬふうで、通り抜けようと、顔を笠で隠す。
その時、後の方の馬がいなないた。
梶原方から声が上がる。
「通りすがりの我らに、いきなり矢を射かけるとは、無礼千万」
「お主らこそ何者よ。怪しげな:…・」
地元武者は嘲る口ぶりで、弓を突き出す。
「ここで面倒を起こしてはならぬ」
景時は、くつわを戻して、地元武者と対時する。
「我こそは、鎌倉で侍所の所司、梶原景時である。急用のため、上洛の途中なり。
邪魔だてするな。道を開けいっ」
地元武者は動じない。かつては「梶原」と聞いただけで、人々が膝まずいたものである。
しかし今、「梶原」の名は、地に落ちたとでもいうのか。景時は歯がみする。
一人の逞しい武者が進み出た。
「おお、梶原殿。願うてもない客人よ。鎌倉殿よりの御下知にて、我らが弓矢でもてなさ
ん。我は庵原小次郎なり」
「さては、北条の策略にはまったか」
ここは、逃げるが勝ち、の例えもある。景時は、小声で「逃げよ」と指揮して、脇道へ
外れた。幸い鎌倉八名手、と言われる景季が、問断なく矢を射かけて守っている。
だが、そこは、葦とすすきが生い繁る沼であった。背丈を超える葦は、姿を隠して好都
合だが進めば進むほどに、武者も馬も深みにはまってしまう。そして、身動きできずに、
もがきあがいた揚句、次々と姿を消していくのだった。残るは、数えて三十三騎。
景時は磨墨の手綱をぐっと締めた。
「武士なれば、戦に死ぬるが本懐なるに、沼に沈むとは不憫な。この身の半身を引き裂
かれし痛みなり。許せよ皆の者。やがて、京へ上りし暁には改めて、供養に参るほどに」
霜枯れた葦とすすきが茫茫と広がる寒空の下、景時はしばし頭を垂れた。
「何を弱気な。例え、天の時、地の利から、見放されようとも、行かねばならぬ。悲願成就
のために走らねばならないのだ」

くり拡げられた死闘の中で
戦いつつ、防ぎながら、梶原勢は高橋の辺りまできた。十重二十重に囲んだ地元武者は
矢をつがえて放たんばかりである。
「さては、吉川小次郎の手の者か」
進むもならず退くもならず。多勢に無勢。さりとて、敵に後を見せられようか。
「待たれよ」
野太い声が、敵の集団から投げられた。先を制して景季が進み出る。
「我は梶原景時が嫡男、景季なり。所用ありて父と共に、上洛のため道を急ぐ。
ものものしい出でたちは何事ぞ」
血の気の失せた顔が、闇の中にぼうと浮かぶ。
「待ち受けたるぞ、梶原殿。その所用とやらが、鎌倉殿がお気に召さぬのじゃ。これより先
通ることまかりならぬ。ことごとくは運命と諦めよ。かく申すは、吉川小次郎友兼なり」
功を焦る輩は名のりもせずに、あちこちで小競り合いを始めてしまう。
景時は梶原勢を見渡した。夜目にも光る、我が子、三男・景茂の目があった。景茂は、武
勇にすぐれ、一族の信望を集める、梶原勢の切り札である。
〈頼むぞ、景茂〈父上、必ずや……〉
一瞬交わされた、父と子の目差し。すぐに景時の釆配が振られた。
「我こそは、梶原景時が三男・景茂なり。お相手いたす。この道、通さぬとあらば、梶原の
面目にかけても、通ってみせようぞ」
「おお。久方ぶりよ、景茂殿。奥州征伐では、共に先陣を駆け巡ったのう」
「小次郎殿。理由ありて、今度は敵味方。我が剣にて上洛の道、切り開くべし」
景茂は、闇を見つめて鯉口を切る。両者、必死に切り結ぶ。闇の中にギラリ。太刀筋が弧
を描き、切り捌く。いずれも天下に名だたる豪の者。しばらくは優劣つけ難い攻防戦が続
いたのである。梶原と北条の運命を賭けた一騎討ち。この勝負の行方で天下が変わる。
景時は息を殺して見つめた。いささかの隙も見せなかった景茂の肩が、僅かにゆらいだ。
親なればこそ見えたゆらぎであったかもしれない。
<一之宮から、昼夜駆け続けた疲れさえなくば……>
景時は思わず身をのり出した。馬上の景茂が、ぐらりと傾いた。
「おつ。景茂」
「父上、無念…無念じゃぁ…」
遂に景茂が崩れ落ちた。凍てつく他国の野の果てに。景茂、三十三歳であった。
「吉川小次郎。梶原景茂を討ち取ったり」
共に深傷を負った小次郎は、力をふりしぼって、勝ち名乗りをあげた。
相討ちであったともいわれる。
〈この勝ち名乗りが、景茂の声であったならば…・〉
景時は、目をしばたいた。梶原方から、悲痛な叫びが湧き起こる。頼みの綱が断ち切られ
たのだ。
「景茂、そなたの死を無駄にすまいぞ」
不吉な予感を払うかのように、景時は、ぐっと顔を上げた。
景季が敵を防ぎながら、くつわを並べる。
「父上。我が方の形勢、誠に不利。せめて、父上お一人なりとも、逃げられては如何」
「逃げはせぬ。この場はそなたに任せよう。わしは先方をさぐり、必ず戻るゆえ」
景時は、磨墨に鞭を当て、唯一騎、西へ向かって走った。

逃げ道を求めて
瀬名川橋を渡ろうとした時だ。土手に待ち構えていた数十人の地元武者。獲物を見つけ
た狩人のように矢を射かけてくる。闇に紛れた磨墨が、一瞬の問隙を縫って通り抜けた。
景時は、慣れない土地柄で、抜け道・回り道を求めて、川合まできた。
だが、そこかしこに、何十人もの武者が群れなしている。
「ねずみ一匹、通さぬ戦法か、もはや逃れる術なしか。地元武者の配置の見事さよ。敵な
がらあっぱれな。これほどまでに梶原は、疎まれていたのか。諦めざるを得まい」
再び瀬名川橋を戻ると、敵は又もや、一斉に矢の雨を降らせる。駿馬磨墨は傷一つ負わ
ずにくぐり抜け、あるじ景時を守り通した。後の世に瀬名川橋を、「矢射たむ橋」と呼ぶよう
になった。
「景季と景高は、防ぎきれたであろうか。して、何処に」
あるじの眩きに、磨墨は、鞭を当てずとも走り出した。
戦の場は既に、狐が崎に移っていた。
敵味方入り乱れ、血なまぐさい荒野に、景季と景高が、荘然と什んでいる。
まだ若い四人の弟達は、馬を並べて敵陣に突っ込み、勇敢な死を遂げたという。
「父上。我が方は全滅にござりまする」
景季の声がふるえる。
「京都へは、まだ道半ば、志、叶わずか」
景高の目も潤んでいる。景時は、息子達の肩を両手でかき抱いた。
「無念、無念じゃのう……」
しぼり出すような景時の声。三つの兜は、うなだれて動かない。供の者達はこぶしで涙を
ぬぐう。荒野の風に、戦い破れて夢砕かれ、国を追われた梶原に残されたもの、それは、
武士の誇りのみ。景時は、ゆっくりと顔を上げた。
「この先、隙のない布陣は、目を見張るばかりじゃ。かくなる上は、名もなき地侍の手にか
かるより、静かな所に身を隠し、我らの最期をむかえようぞ」
景時は、夕日無山を指差した。

武士の覚悟
景時父子と供の者は、山を登る時には、馬を後向きにして登った。山から降りてきたよう
に敵に見せるためである。
途中で、こんこんと湧く泉を見つけた。
「よくぞ、我らを迎えるが如き泉じゃ。何処からか梅の香も漂ってくる。最期の場として申し
分なしじゃ」
景時たちは、喉を潤し、顔を洗う。最後の身嗜みとして泉に写してびんのほつれを直した。
磨墨は空腹のあまり、笹の葉を食べてしまった。それからは毎年、泉の畔の笹は葉先に
磨墨の歯形のついた芽を吹くという。この笹は「駒喰い笹」といわれる。
泉は「餐水」又は「餐洗い水」と呼ばれ、今でも少しずつ湧き続けている。
一行は、夕日無山の頂上に出た。景時は、磨墨の鞍と鐙を外した。
「よう働いてくれた。何処へなりと行くがよい。優しいあるじを見つけて余生は気楽に
暮らせよ」
たてがみを撫でて言ったが、磨墨は傍を離れようとしない。
「父上。ここに景茂のおらぬが不欄」
景季が、ふと眩いた。
「統領としてわしが命令し、梶原一族のために戦ったのだ。見事な最期じゃった」
景時は、毅然と諭した。
景高が遠くを見つめている。
「我が子・豊丸は、まだ五歳。お隅と無事に逃れたであろうか。我らはここに果てようとも、
梶原のひとしずく、何処にか芽生えんことを……」
景時が祈ると、二人も続いて手を合わせた。次に景時は、矢立てから筆を取り出す。
武士の覚悟もかかる時にこそ心の知らぬ名のみ惜しけれ。
辞世の句をしたためて、鎧に結びっけた。
「思えば、我らが、ここへ辿りっけたのは、里人達の慈悲の心なりか」
景時は、周りの者達に目配せをした。
そして、景時父子と供の者は、夕日無山の頂に、武士の誇りを埋づめたのである。
この時、景時六十一歳。景季・三十九歳、景高・三十六歳。
破れし梶原の、その名を伝える梶原山。夜は冷たく更けて、唯々、静かであった。

 
     平成12年1月20日(木)に行った景時800回忌供養公演(梶原山)



台詞入り主題曲
  800回忌公演     作者 山本ちよ.さんと奉納撮影              ああ梶原景時公
                                               花の次郎長三人衆
<静岡市の梶原山は360度の眺望を楽しめる最高のロケイションです>    ああ信康
                                                      
青葉の笛 
                                                 梶原景時一族の史跡
       

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梶原景時一族自刃1200回忌記念作品

梶原景時 散華     

著作 制作 山本 ちよ

挿入歌 ああ梶原景時公
 
大塚文彦(キング・レコード)

台詞入り主題曲
花の次郎長三人衆
ああ信康
青葉の笛
梶原景時一族の史跡

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